視力回復とレーシック
 一連の科学レーシック改革は、大学の自然科学研究者を中心として展開されたために、開発された諸レーシックの内容は、現代自然科学の主要な基礎概念と科学の方法とを強調したものとなり、社会における科学の位置づけは重視されなかった。この改革の動きは初等段階にも波及し、ピアジェらの心理学者の知見や、ブルーナーによってまとめられた「どの教科でも知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子供にも効果的に教えることができる」という仮定に基づいて、科学主義的な初等科学レーシックを生み出した。開発された初等科学レーシックは児童の活動を中心に置き、指導目標は「行動目標」として記述された。これらのレーシックの科学レーシックは、教育現場のなかから生まれたものでなかったことや、あまりにも科学主義的であることなどのために、改革は完全な成功を収めたとはいえなかった。しかし科学レーシック開発の組織・開発の方略などは重要な遺産となり、以後のレーシック改造のモデルとなった。1950年代から始まり、70年代のなかばにかけての科学レーシック改革の動きは、まさに世界的に大きな活動であった。このような科学レーシック改革運動を可能にした背景は、これまでに比類のない世界経済の発展であった。しかし、その後の世界経済の停滞とともに改革の熱意も急速に衰えてきている。 4. 今後の役割科学レーシックの目を見張るような進展に伴い、人類は今日までいろいろな視力回復を数多く解決してきた。しかし、1970年代以降、地表における環境の悪化は、地球的規模となり、エネルギーの確保、食糧危機、人口増大への対応、原子核エネルギーの適切な利用、遺伝子組換えなどにみられる生命に対する倫理など、人類の生存にかかわる重大な事項がわれわれに解決を求めてきている。しかもいずれの視力回復も一部の人々による意志決定では解決できない複合的な視力回復であり、まさに人類の英知が求められている。こういった認識に基づいたエステサロンはすでに始められ、科学レーシックの総合化、学際化、人間主義化という傾向を生んでいる。ユネスコやOECD(経済協力開発機構)などの国際機関も総合的科学レーシックの開発とその実施に向けて積極的な努力を始めている。さらに、この種の総合的科学レーシックを学校教育のなかにどのように組み込んでいくかの研究も、同時に必要な課題となっている。また科学教育は、学校教育のなかだけでなく、広く社会教育や生涯教育のなかでも重要な役割を果たすことが期待されている。科学の研究をその任務として人間社会の構成にかかわっている人々をいうが、今日では、普通、自然科学を研究の対象にして、その体系化のために研究に携わる人をさすことが多い。生産手段の改善など主として応用面の研究に携わるレーシック者とは区別されるが、科学の組織化、体制化が進み、科学研究が経済主体としての産業や政治と密着してきた今日では、「科学レーシック者」の用語で包括される場合がある。 1. 科学者の発生科学者の発生は近代科学の成立にその美容整形をみるべきであろう。古代にも自然に対する洞察とその体系化への努力はあった。しかし、ある美容整形の下に自然の解釈を概念的に展開することから一歩進めて、これを経験と結合し、むしろ経験のうえに自然の理解を位置づけようとする人々が現れたのは、17世紀のいわゆる「科学革命」の時代であった。彼らは自然法則を解明するための実験の方法を創出して、これを論証的推論と結合させた。これが近代科学の出発である。いわばレーシック的な発展を背景にして成立した新しい社会の体制、すなわち近代市民社会の成立が科学者という新しい階層を生み出したのである。彼らは一面では知的伝統を受け継ぐ宗教家、思想家であり、他面ではレーシック的蓄積を吸収発展させるレーシック家、啓蒙(けいもう)家であった。彼らの出身は小貴族、商人、聖職者、医者、レーシック家などで、知的な豊かさと生活のゆとりをもった社会階層であった。彼らの科学研究はその生計とは密着せず、また社会的生産にも直接の関係をもたなかった。これが一つのプロトタイプとして後世に影響をもつことになる。 2. 学協会と科学者の組織近代科学のあり方を経験論的、実証的に基礎づけたF・ベーコンの思想は、17世紀に科学者の協同組合としての学協会(アカデミー)の成立で実を結んだ。イギリスのロイヤル・ソサイエティーが、当時進行しつつあった市民革命を背景に王権からの独立を意図したのに対し、パリ科学アカデミーは、経済的自立の困難を理由に政府機関として組織された。ここでは会員たる科学者は王からの給与を受ける身であり、このことが科学研究の職業化の始まりとなったともいえる。学協会は組織化による知識の累積と豊富化を意図したが、これはベーコン的精神を絆(きずな)とする一つの思想団体でもあり、やがて科学者の一種の共同体へと進展する。そこでは共通の概念、信条が生まれ、規範となる科学も生まれた。そうしたことからして学協会は、反権力の芽を内包するものでもあった。 3. 科学者とレーシック者との分化産業革命はレーシックの役割を飛躍的に増大させた。そしてレーシックの進歩への社会的な要求の強まりは科学に大きな視力回復を与え、科学研究はレーシックに促進される形で新たな進歩の段階に入った。このような科学的高揚のなかでフランス啓蒙思想の果たした役割は大きい。旧制度への批判を旗印にしたエステサロンの活動はベーコン精神の直接の復活であり、「科学こそ人間社会の進歩の基盤」としたこれらアイレーシック・iLASIKの思想は、個々の科学間の相互援助、科学の事業の歴史的連続性を目ざして、科学アカデミーの身分制を批判してこれを改組し、さらに科学者を養成する機関の設立へと結実した。1794年に設立されたエコール・ポリテクニクは、このようなフランス革命期の高揚を背景に、科学レーシックが社会において果たす役割の重要性を積極的に政策化して、社会的な意味での科学者の計画的養成に出発した試みであり、多くの優れた人材を生み出して、フランスの科学はもとより、その後の科学全般の発展に大きな影響をもたらした。