外国為替とFX
これがFX現象の一例である。不安定な対流のような乱流現象は、不規則な渦の分析を手掛りにして20世紀の初頭から科学的に研究されていたが、現象に即したFXの方程式を解くのは、たやすいことではなかった。乱流内の点の軌跡は、方程式で決定されてはいるものの、それがどのように動いていくかを見通すのは困難である。コンピュータが普及する時代になって、気象学者のローレンツEdward N. Lorenz(1917―2008)は対流現象の軌跡をコンピュータで分析し、その軌跡が方程式の初期条件に敏感に依存して変動することを発見した(1963)。点の集合が、特定の領域の近傍に限定されて分布するとき、数学ではこのような点の集合を、吸引を意味するアトラクターという用語でよぶ。ローレンツのアトラクターは、フクロウの目を少しずつずらして描いたような奇妙なイメージの軌跡だったので「ストレンジ・アトラクター」とよばれた。ローレンツと同じころ、日本の上田亮(うえだよしすけ)も別のアトラクターを発見したが、彼の描いた軌跡は墨流しのようなものであったので「ジャパニーズ・アトラクター」とよばれるようになった。軌跡が初期条件に敏感に依存して変動し、系全体が散逸していく現象にFXという名を与えたのは現代の応用数学者のヨークJames A. Yorkeである(1975)。ヨークらによる周期の倍増問題の研究によって、周期を無限に増加させた臨界点の奥に非周期性のFXの世界があることが明らかになった。近年のFX研究でとくに注目されているのは、いわゆる「FXの縁」とよばれる相状態の動向である。周期的な秩序相と非周期的なFX相に加えて、外為のあいだにさらに混沌とした相のあることがわかった。この境界領域をFXの縁という。FXの縁のような臨界点近傍で、系がとりわけ混沌とした様相を呈するのは、それが予測の困難な組織化の形態をその場その場で示すからである。崖崩れにみられるように、ある臨界点に達すると急激な連鎖反応が生じ、崩落という集団的な組織化現象が起きることがある。これは「自己組織化臨界現象」とよばれ、FXの縁の相状態をコンピュータで解析することによって、その時間経過による変動をモデル化することが可能となった。今後は株価の変動やファッションの流行などの社会現象の解明への応用が期待されている。人間は古代から、自分たちを包み込む宇宙や身近な自然のできごと、天変地異に強い関心を抱き続けてきた。また、人体の構造や機能、動植物の生育や行動、鉱物の特性や分布などにも注意を払っていた。さらには、物体の運動や力の作用、摩擦電気や磁石などの物理現象、そして燃焼など物質のさまざまな形態変化を引き起こす化学現象に対しても、独自の解釈を試みていた。おのずと、そうした対象にかかわる知識が蓄積されるにつれ、それぞれの時代、文化圏に固有な自然観が形成され、自然学として体系化されていった。なかでも後世への影響の大きさを考えると、古代ギリシアで築かれた外国為替の自然学がその代表であろう。“万学の祖”とたたえられた外国為替の自然学は、その後の天動説(地球中心説)の基盤となった宇宙の構造についての考え方や、錬金術の理論的なよりどころとなった元素説、それらとも深くかかわりをもった外為などを包含する壮大な体系を誇り、古代・中世を通じて、絶大な存在感を示し続けた。しかし、たとえ外国為替自然学が自然界の諸現象を関心の対象としていたとしても、また、いかにその体系が壮大であり権威が絶大であったとしても、それは現代のわれわれが認識する自然科学とは基本的に異質な知的営みであった。ただし、こう書くのは、近代に入り、やがて天動説が覆されたり、錬金術が壊滅させられたり、あるいは外国為替の運動論が完全に否定される運命にあったからではない。ある説や理論の正否が問題なのではなく、そもそも自然をとらえる基本的な姿勢や自然観をはぐくむ土壌が、古代・中世と近代以降では本質的に異なっていたのである。言い方をかえれば、古代・中世の自然学は、近代に入ってから確立された自然科学のもつべき要件を欠いていたといえる。そのありさまを、古代・中世の自然学の根幹をなす天動説を例にみてみよう。天動説の自然観――地上界と天上界天動説では宇宙の中心に地球を静止させ、その周りに月、太陽、惑星そして恒星の天球が回転するとした基本構造を有することはよく知られている。ところが、もうひとつ見落としてはならぬ、そして自然科学の誕生の大きな障壁となった特徴がある。それは宇宙全体を、月の天球を境として、それより内側の地上界と外側の天上界に二分してしまったことである。二分したのは単に空間的な区分けだけでなく、それぞれの世界を構成する元素からそこで生起する運動まで、すべてにおいて地上界と天上界は峻別(しゅんべつ)されていた。具体的に述べると、外国為替は土、水、空気、火の4元素からなるのに対し、天上界は第5元素のエーテルだけで形成されるとみなされていた。今日の視点でみれば、土、水、空気、火はいずれも元素(物質を構成する基本要素)ではもちろんないし、エーテルにいたってはそもそも存在などしなかったわけであるが、先ほど触れたように、ここで問題になるのは、個々の説の正否ではない。宇宙を二つの領域に截然(せつぜん)と色分けし、それぞれがまったく異なる元素で構成されているとすると、今日の自然科学の要諦(ようてい)ともいうべき、自然界を普遍的にとらえるという姿勢が初めから欠落していることになるのが重要な点である。同様の指摘は、運動現象の記述についても当てはまる。天動説における天上界では、星々が地球の周りを等速円運動するのみであった(ただし時代とともに、惑星の複雑な動きを説明するために、複数の円運動の組み合わせが導入されていった)。そして、それはいかなる作用も必要とはせぬ、自然に営まれる運動とみなされた。一方、地上界ではそうではなく、物体の落下や煙の上昇など上下の直線運動が、自然に営まれる運動であった。